たっこに逢いたいなあ〜
もうあの日から7年も過ぎたなんて。。。東京でもぐらっと感じた地震。
わたしにはとてもユーモアがあってチャーミングな大学時代からの親しい友人がいました。機転も効くし生命力のある彼女が地震で亡くなって7年が過ぎました。有名人でもなく普通の人でしたが注目をあびる事となってしまいました。時間の経過もあるからもう大丈夫かな?今日はすこし友人のことなど書いてみようと思います。
地震後、電話がつながらない状態でもまさか彼女が事故に巻き込まれているなんて想像もしていませんでした。メールしても返信がないしどうしたかと思って他の友人たちと心配しあっていたけれど、ある友達がNHKのニュースで彼女の名前をきいた、家族の人が連絡を待っているという内容のものだったように記憶しているが、家事をしていた友人は名前だけニュースで。。。ということでネットにアクセスして情報をさがしたことを記憶しています。
数日後、土砂崩れに巻き込まれていることがわかったのだけれど、それが全国的に放送されるという事態になり、私も見守ることになってしまいました。報道では彼女が助かったというような内容が一瞬あったけれど、それはあやまりで結局、亡くなってしまったという内容に本当に絶望したことを記憶しています。そんな経験からよく調べて相手の立場になって報道してほしいなあと思ったし、2ちゃんねるで彼女の救出を野次馬的にいろいろ発言している人たちに友人達と腹を立てたのを覚えています。
その場所まで出かけていって岩をどかしたいと思ったり、雨が降ってくると寒いだろうと止んで欲しいと祈ったりの数日でした。一人っ子だった彼女が、残されてしまう両親に希望を持てるようにと、そんな強い気持ちが息子を救出させたのではないかと私たち今も思っています。
上空から発見されたのは彼女の車のナンバープレートが岩の間からちょっと顔を出していただけ。よく発見できたなあ〜と今でも思います。
ニュース番組で通夜告別式の時間をしり、遊びに行った時に泊めてもらったお家がテレビに映り、彼女は亡くなってしまったのに彼女の家周辺は大きな被害はなく普段のままだったのが何ともやりきれない気持ちになったものでした。
自宅でおこなわれた葬儀。お手洗いを借りたときに助かった息子のおしりふきを見つけた時に、置く別式なのに本当に数日前までの彼女の生活の、生きていた、生活があったのだ!というのを感じてしまい、彼女が亡くなった事が事実なのかどうなのか、わけがわからなくなった事をよく覚えています。
彼女の忘れ形見はすくすく育っているのはうれしい。でも、やっぱり彼女、たっこに会いたいなあ〜。元気であかるい声がわたしの記憶にずっと残っています。
彼女との楽しい思い出も今度すこし書いてみようと思っています。